約1年半の休校における教育の実情とスラム街レポート
【2021年7月の活動報告】

1. 2021年7月の活動報告

当社はGENKIプログラムにおいて、コロナ禍の休校期間中、ユーグレナクッキーの配布を再開しました※1。7月はGENKIプログラム対象校81校のうち45校の約4,600人に対し、15.8万食のクッキーを配布しました。

※1 休校中でも先生方にはクッキー配布の為、学校に来ていただき、プログラムを再開する仕組みを確立しています。コロナ禍におけるGENKIプログラムの活動状況については、2020年8月2020年10月の活動報告をご参照ください。
※2 例年12月は月の半分以上が冬休みで配布日数が少なくなりますが、2020年度は15日分を1度にまとめて計2回(合計30日分)配布しました。そのため、コロナ禍前の2020年9月期より配布数が多くなっています。

2. 約1年半の休校における教育の実情

バングラデシュでは新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの影響で2020年3月から一部を除いて※3学校が休校となっています。2021年7月末時点で、1年4カ月もの間子どもたちは学校に通うことができていません。7月は、1日あたりの新規感染者の最多人数が15,000人越と6月に比べ約2倍に増えたため、政府は8月末まで解除しないと宣言しました。この状態では、9月になっても開校ができるかは不透明な状況です。
皆さんはこの異常な状況を想像できますか?
学校が休校になっても、中流家庭以上の子どもたちは、オンライン授業だけではなく、週に3回程度の家庭教師の授業を受けることができ、自宅で質の高い教育を受けることができています。また、高等教育を受けた教育熱心な両親が、勉強を教えることもあります。

※3 マドラサ校(バングラデシュの教育課程に加えて、毎日イスラム教聖典のコーランをアラビア語で勉強する宗教に重点を置いた男子学校)においては、政府が一部開校を許可しています。詳細は2021年2月の活動報告をご覧ください。

家庭教師が中流家庭の子どもに勉強を教えている様子
中流家庭の子どもが自宅で英語を勉強している様子
中流家庭の子どもが自宅で英語を勉強している様子

その一方でGENKIプログラム対象校のスラム街に住む子どもたちは、教育へのアクセスが限られています。以前のレポートで紹介した通り、オンライン授業や課外事業を実施している学校もありますが、デジタル機器普及率の低さや通信費の高さから全員がオンライン授業を受けられるわけではありません。また課外授業も外出規制などから登校日が制限されており、中流家庭以上の子どもたちのように、十分に学びの機会が与えられていません。
この結果、スラム街の子どもたちには様々な悪影響がでています。バングラデシュの初等教育課程において重要視されているのが、5年生を対象とした全国統一試験です。毎年12月に日本でいう「大学入学共通テスト」と同じような進級試験があります。しかし昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で実施されず、対象の子どもたちは全員進級となりました。今年も実施有無は未定で、実施されない場合は昨年のように全員進級してしまいます。

ここで問題なのは、本来進級できない、知識が追い付いていない子どもたちが無条件に進級できてしまうことです。政策により全員が進級できるということは良いことに思えるかもしれませんが、質の高い教育を受けた子どもたちとの実力の差は広がる一方です。スラム街の子どもたちは、勉強の遅れを取り戻すことが難しいまま、数年後にやってくる中等教育統一試験の際に、大きなハンディキャップを背負ってしまうことになります。 中等教育統一試験の結果は、子ども達が就職する際にも影響を及ぼすため、勉強の遅れを取り戻せないまま試験を受けることは、将来子どもたちが定職に就き、継続的に安定した収入を得るといった未来の選択肢を狭めることにもなりかねません。このような不平等を改善するため、政府も遅まきながら様々な対策を考えているようです。

自宅でスマートフォンによりオンライン授業を受けるスラム街の子ども
自宅でスマートフォンによりオンライン授業を受けるスラム街の子ども

3. ユーグレナ社の仲間が見たスラム街レポート

海外事業開発部に最近配属された仲間※4が、今年の3月にGENKIプログラム対象校であるNLJ OBAT校を訪問しました。ここでは、2016年よりユーグレナクッキーを配布しています。今月は、その仲間が見たスラム街の様子をレポートいたします。

※4 当社グループでは、社員のことを同じ志をもった「仲間」と呼んでいます

NLJ OBAT校 があるのは、バングラデシュ人以外の様々な民族が集まるスラム街です。首都ダッカ市内のモハマドプールという地域にあり、比較的裕福なエリアと隣り合わせになっています。このエリアの人口は3万人とも5万人とも言われています。
このスラム街の歴史は、50年前にさかのぼります。現在のインド、パキスタン、バングラデシュは英国領インド帝国として元々同じ国でした。しかし1947年にイギリス議会で「インド独立法」が可決され、ヒンドゥー教徒の国であるインドとイスラム教徒の国であるパキスタンが分離独立をしました。バングラデシュは、東パキスタンと呼ばれ、パキスタンの一部となっていましたが、地理的な理由も相まって、1971年の独立戦争を経てパキスタンから独立しています。しかし、「バングラデシュ」とされた国の中には、パキスタン民族であるビハリ族が取り残され、孤立してしまっているのです。※5,6

※5 Himal South Asia (2019) Stranded in Geneva Camp
※6 The Daily Star (2019) The cost of citizenship

ビハリ族の住むスラム街は、筆者の目から見てもとても劣悪な環境に見えました。この状況を打開するため衛生面や教育においては多くの現地NGOが活動しており、子どもたちに教科書やカバンを寄付しているそうです。
ここからは、学校周辺のスラム街の様子について紹介いたします。車を降りると、まず反物のようにきれいに折り畳まれた牛の皮の山が目に飛び込みました。内側から血が染み出ています。一本奥に入ると、そこがスラム街の入口で、たくさんのお店が並んでいました。野菜や果物、穀物、魚などがかごに直接入って道に並んでおり、”商品”にはハエがびっしりついています。

狭い道に雑多なお店が並ぶ

学校といわれる場所は、雑多な街路の中にあり、校庭や目立つ建物はありませんでした。子どもたちは、寄付により提供されているカバンや教科書を持って登校します。コロナ禍のため通常授業は行われておらず、週に1度の登校で先生が学習をサポートするにとどまっています。そのため人数が制限されており、教室内はがらんとした印象でした。

学校の入口
教室の様子

学校の一歩外に出ると、地面は水浸しで、子どもたちが裸足やサンダルで歩いていました。日当たりの悪い中に建物が立ち並び、居住エリアと商店街が密接していました。食用品や日用品を売る店舗の中で家畜が一緒に暮らしている状態や、1つの部屋に3世代の家族が一緒に暮らす様子が見られました。

何世代も一緒に1つの部屋で暮らす
住環境と家畜を売るエリアが密接している

筆者が訪れた場所では各家庭にトイレの設置はなく、NGOが管轄する共有の公衆トイレがありましたが、設置場所は居住エリアのすぐそばで衛生状態はけっして良くありません。頭部にハエがたかる子どもや、栄養失調状態の特徴である腹部だけがふくらんだ子どももおり、非常に衝撃を受けました。

スラム街のNGOが管理する共有トイレ
両手が壁についてしまうほど狭い住居エリア
共有トイレの前の子どもたち

かつてはアジア最貧国といわれていたバングラデシュですが、今や街中では道路やモノレールなどのインフラ建設が進んでいます。”日本の銀座”といわれているダッカ市内のグルシャン地域ではコーヒーが1杯500円するなど、日本と変わらない価格設定の飲食店も増えてきました。スマートフォンを持つ人も増え、一部ではリモートワークができるほどIT環境も整ってきています。
一方、スラム街の状況は改善される兆しがなく、栄養や衛生面については依然として大きな課題が残っています。また粗末な家屋がひしめき合っている住環境は何ら変わっていません。

GENKIレポートでは、毎月ユーグレナクッキー配布数を報告しておりますが、今回の訪問まで、ユーグレナクッキーを食べている子どもたちがどのような家に住み、生活を送っているのか理解できていない部分もありました。
訪問後、ユーグレナクッキーを受けとったときの子どもたちの笑顔をみて、改めてユーグレナクッキー1袋の重みを再認識し、プログラムの意義を深く考えさせられました。
引き続きより多くの子どもたちにユーグレナクッキーを配布できるよう、活動して参ります。
今後とも、GENKIプログラムへのご支援をどうぞよろしくお願い致します。